日記

燃えカス

バナナのナス、バナナス

遊ぶ体力、ありますか?僕にはありません

 

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休日にゴルフやハイキング、はたまた平日の夜にランニングやジムといったように体を動かす趣味ができる人、すごく尊敬します。確かに本人たちからすれば学生時代からの習慣だったり、健康に気を使い始めてから行い始めたものもあるかもしれないけど。最近朝から夜まできっちり研究室に行って、その間きっちりやる事をこなしている生活が続いているのですが家に帰る頃にはもう何も考えたくない夜の校舎窓ガラス壊して回りたいになってます。僕が15の尾崎だったらやってましたね。でも現実は23の卒業ギリギリ限界大学院生なわけで、平日夜は飯食ってシャニマスやってちょっとエイム練習してfpsやってたらいつのまにか12時になってたりします。ランニングとかしようもんなら翌日体調不良になりそう。窓ガラスを割る前にクソ渋ガシャを引かせるシャニマスくんを割りにいかなアカン。

 

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体力がない弊害はまだあって、即時的なコンテンツしか楽しめなくなってしまったことが挙げられます。たとえばバンド。バンドは初心者のうちは弾いているだけ、練習しているだけで楽しめたけど今では本番くらいしか楽しくない。なので最近だと僕の中でバンドは時間を支払って楽しさが得られるのに遅延が生じている娯楽になっています。一方ゲームとかは1試合短かったり、自分の欲しいタイミングで欲しい喜び(コンテンツの盛り上がりのピークって言えばいいのか)かある程度得られる、「楽しくなりたいと思ったときにはもう楽しい」なので最近すぐそういった即時性のある娯楽ばっかりする様になってしまいました。映画とかも見られなくなってしまいましたね。時代はガラパゴスでインスタントでダイバージェンスなジェネレーションでイグザクトリィ?という感じです。

 

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もしかすると子供よりも大人の方が遊びに必死で、それはかけた時間とお金の元を取らなければならないと言う強迫観念があるからなのかと思いました。いい年した大人たちがゲームのアップデートとか環境とかにケチ付けてるのはそう言うバックグラウンドがあるからなのかなと少しだけ気持ちが理解できました。肯定しないけど。そんなにイライラするならプリパラを見て下さいfpsより数倍有意義だと思います。

 

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湯浅プリンスホテル(海老には流される)

 

空が明るくなる頃に起き、あたりが暗くなる頃に寝る生活をしてみたいと思う。夜の向こう、という題名のついた曲は往々にして良い曲だとイマジナリーフレンドがいってます。彼はCIAです。よく女を殴ります。

 

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都会はビルがたくさん並んで朝が来るのが遅そうだけど、もし周りに何にもない荒野で朝を迎えるとするならば、それはとても早く来るだろうしきっと僕らに厳しいと思う。その場合僕らはビルに感謝しないといけないのだろうか。絶対嫌だだってあいつら態度でかいし。無機物なのに。

 

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つい先日「アイドルマスターシャイニーカラーズ」において登場人物の1人である桑山千雪、その人のGRAD編と呼ばれるストーリーに感極まってしまい、脳内の10万3000冊の魔導書全てが桑山千雪その4文字に書き換えられてしまった。千数百億個の脳細胞全てがその漢字4文字64ビットに変換される瞬間、ハード兼肉塊の目からは古の2chねらーたちが「シル」と形容したソレが流れ落ちていた。嘘と現実を混ぜて喋る口からは嗚咽と「天才か?」の4文字も漏れていた。

 

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僕のサークルの先輩に、バイト先の嫌な上司からのシフト強要を避けるために自身のスマホのスケジュール帳へ存在しない予定を書き込み言い訳に使っていた人がいたんですけど、最終的にそのイマジナリー予定に従って行動するようになってしまいました。最強ってコレだと思います。

 

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他人のコンテンツに対する感想をまとめた日記だとかレビューだとかにアクセスさせていただけるインターネッツにおいて、自分も開示する側になる機会があっても良いのではという理由で日記のパスワードを消したわけです

 

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old school

 

自分の健康やメンタルが、天気だとか生活習慣だとか食べたものだとか自分を取り囲む環境に左右されやすくなっている感覚がある。歳か?

 

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自分の好きなアイドルを応援するスタンスが、疑似恋愛の相手を支えるというよりは可愛い孫を応援するようなものに変化した。歳か?

 

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枕が臭い。歳か?

 

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料理が上手く頻繁に行う人間は尊敬に値する。第一に、人の生活で欠かせない食を提供してくれる。さらに食事そのものを行為じみたものではな一種の娯楽性を持たせてくれる。次に他人に対する行動として料理はかなりの熱量と時間手間をかけるから。未就学児のいる家庭において、自分以外の誰かの3食を面倒みないといけないことは相当な負担に違いない。

 

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バッドエンドや暗い展開の作品を好む理由として、その結末に至る過程や回避するための行動を議論したり学びを得やすい点がある。ハッピーエンドに至る過程も人それぞれ多様だとおもうが、その多くは「過程」ではなく「ハッピーエンドを迎えた事実」そのものに意識や感情がよってしまう気がする。

 

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ねだるな、勝ち取れ。さすれば与えられん。

「何もしない」をする時間を取らなければ何もできない癖がついてしまった。自粛期間中の弊害だと思う。卒業が近づくにつれとうとう研究に力を入れる必要が出てきてから、身に降りかかるストレスを解消する簡単な方法もなければその方法を享受できる精神的余裕もなく、ただ精神の自然回復を待つだけの肉塊として自室の床に伏すしかない。6畳半は肉塊にとってはちょうどいい広さだけど人間にとっては狭いのだろうなと考えながら。不動産屋は部屋を貸すことを仕事としているが、居住する者の精神性で間取りが拡大縮小することを理解しているか気になる。

 

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4つ下の、悩んでいる後輩に「死にたくなるときとかありません?」と問われた。

「ある時から俺を死にたいと追い詰める万物が許せないという謎の逆ギレだけで生きてる」

「生きることに意味とか考えなくなったな
同様に死ぬことにも。思考のリソースが少なくなってきたから、考えても自分の力でどうしようもないことに頭使わなくなったのもある。老けてるだけだけど。」と返事した。

哲学は娯楽である。生きることに必死な余裕のない奴は理由ではなく手段を求める筈だから。実家が太かったり理解のある彼くん()が隣にいるからこそ、死や生に対して理解を深めようとできる。社会性があって普通に生きている人間は自省の先に死や生の理解があるとは考えない。全て親族や尊敬する人物、愛するペットなど他者や外部から与えられる事実として生死を捉え、そこからどう思うか?考えると思う。

 

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1つ下の後輩が鬱になった。真面目かつ繊細な心の持ち主で、特に自分と他人との関わり方について自らを責めるような人だったから、いつか心が病むだろうなとうっすら予想してたらそうなった。でも自分で精神科に行けるほどには強かった。薬の弊害でお酒が飲めないと言いながらも僕にお酒を勧めてきた。僕は頑張っても1人分しか飲めなかった。僕には他人を救えるほどの器の大きさもなければ、その弱い自分を受け入れて他者に肩を貸す優しさもなかった。

 

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祖母はデイサービスに通い始めたらしい。電話口でもさらに老けたことが伺えた。祖母の耳が遠いことは、僕が「話が通じない人間は嫌い」になった原因でもある。他者を嫌いになる原因が自分が心を開いて甘えている親族に由来して形作られたものであるから、僕はあまり人を嫌いになろうとしないのだろう。嫌悪感を表すことは、その人に甘えることと直結してしまうから。

 

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イヤイヤ言いつつ研究をしている間は気が楽だった。目の前にある電極を洗浄して、酵素を測定して、マイコンのプログラミングをして、終わったら家に帰ってサークルのOBたちと世間話をしながらゲームして、ただやる事をしていれば自分の生活も衣食住も保証されるような気がして。極端な話、生きる意味も死ぬ意味も突き詰めれば無い以上、何をして生きていくか(死ぬか)が大事なはずなのに何かを成すには生きる(死ぬ)意味を確固な足場として持っていないといけない気がして何も自主的にできない。

 

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唯一、ハチミツとクローバーを読み返すことしかできなかった。森田の魅力に気づいた。

最近

想定敵を設定したり、何かに反抗するというものは大事なのかもしれない。

 

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例えば甲子園を目指す野球部にしても、地区大会第一回戦で戦う高校の野球部が攻撃に厚いのか、それとも全くのエラーを許さない鉄壁の守りなのか、それを踏まえて自身のチームのスタメンや配置、投手の切り方を考える方が勝率が高まるだろうし野球を行う上でのスキルも高まるだろう。

 

例えば恋人と別れた後に、その人の不満や嫌だと感じた行動を思い返して、別れるに至るに十分な理由があったしむしろ怒りを感じて良いと感情的に納得することは一見論理的ではなく受け入れがたいと思うが、その人のその先に続く途方もなく長い日常を良く生きるためには効率的であると思う。辛かったことや悲しかったことを相手に全て押しつけて過去にできるから。

 

例えば僕が1日中頭痛に悩まされて、起きた頃には深夜であったにもかかわらず卒業への一歩のため研究室に向かい、大学の入り口で学生証を忘れた事に気づき20分かけて家に取りに帰り、その道中で犬のクソを踏み、泣きべそをかきつつも大学へ戻り実験をしている最中にマイコンと電圧源の接触の関係でPCが吹き飛び、修士論文に必要なプログラムや実験データが丸ごと消え留年確定したと絶望し、でもなんとかHDDからデータだけ救出した直後に下痢に襲われた時も、神だとか上位存在を勝手に作り出してそいつのせいにしてしまえば、全然今日も生きていけるなと思う、クソほど暑くて最高で最低な昼下がり

 

は?

雑記

ウメハラさんの言う「ゲームに飽きたんじゃなくて上達しない自分自身に飽きた」って言葉に一生頭を支配されてしまうと思う。

 

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学生の頃、運動部に所属しスポーツに心血を注いだ人や文化部に所属し作品を作ることに時間とアイデアを費やした人が大半だと思うが、自分はそうではない。スポーツに関しては運動音痴であることを理由に最初から諦めていたし、美術や音楽に関しては成績さえ良ければ良いと言うスタンスであった。言ってしまえば、「何かを成し遂げるために努力をすることがめんどくさい」と思っていた。

 

理由はいくつかあって、まずマイナスな心情に支配されやすい点が挙げられる。当たり前だが何かしらの成果や報酬を得るためにはそれ相応の苦労が必要で、誰しも辛さや困難さに直面する。自分はその中で何か不利益やマイナスな面(疲労や時間的制限)が発生してしまう事のみに囚われてしまう傾向があった。また他の理由として、母親の死を通して自分の努力次第で解決しないことが多いということを大分若い頃から思い込んでしまっていたことが挙げられると思う。

 

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そんな中で、大学生活の間に打ち込める趣味としてバンドに出会えたことは幸運だったと感じる。楽器の楽しさに触れ練習に没頭し、演奏を経験することで「この楽しさを得られるなら辛い練習や面倒な事も耐えられる」実体験を得られた。

 

最近では対人ゲームの成績が伸びてきた。ゲームの目的を「試合に勝つ」ことではなく、「自分自身が上達する事」に意識を変えた。上手い人に比べると上達のスピードは遅いが、明らかに自分のプレイを見返して改善できる点が多くあり自分の上達できる伸びしろの存在に気づくことや、またそれらを改善していった結果成績が伸び上達の実感が得られるようになってきた。

 

そこで初めて、自分で自分自身の能力を向上させること自体に喜びを感じている事に気づいた。自分のことを昔から可能性のない人間だと思い込んで生きてきたため、自分に何かしらの時間や労力を費やして努力をすることがバカバカしいと感じていた。(唯一勉強だけは頑張っていたが、これは高校でグレでヤンキーになった結果荒れてしまった父親を反面教師として祖父母から優等生を期待されていたが故にできたことだと感じている)

 

俺はもっと強くなれる…と少年ジャンプ的マインドを背負っていられるのはあとどれくらいだろうか。社会人になり「辛いし面倒だけどやらなきゃいけないこと」に時間を費やす事が多くなった時、自分を成長させる余裕は果たして作れるだろうか。

 

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以前に自分の今後の人生の目的を「感動すること」とし、その手段として様々な創作物に触れることを述べたが実現が難しいと感じる。労働が心を簡単に鈍らせてしまう。疲労は感覚を鈍らせてしまう。自分以外の事に何も興味がなくなってしまう。精神活動に人生の重きを置く場合、労働は大きな障害だと今一度実感した。なので結婚や育児などの他人が関わる事が人生の目的として定められやすいのかなと少し感じた。心的活動よりも成果物を目的とした方が生きやすいのかな、と。

最近

最近享受したコンテンツ

 

①ぼくらの/鬼頭莫宏

言わずと知れたゼロ年代の鬱漫画の金字塔である。最近になって新装版が出るがそちらには作者が書いた設定集が載らないそうなので、中古で全巻セットを買った。僕はキリエ編が好きです。「生きる上で他の動物や誰かを犠牲にしている、結果として勝った者は負けた者に対する『責任』を負わなければならない。生存競争において負ける側に可哀想という感情を抱くことは、相手に対する優しさではない」という風に捉えた。

 

②ありがとうって言って/二階堂幸

Twitterでお馴染みのスケッチブックで会話する狸(犬)の漫画を書いている方の短編集。人物の表情と微妙な人間関係を表現することが上手いと思った。あと女の子が可愛い。男の子も可愛い。動物、植物、無機物の書き込みがすごいので、作者は身の回りにある人間以外、例えば空間物質音などとそこにいる人物をセットで捉えがちなのかと感じた。

 

ペルソナ4 ザ・ゴールデン

steam版がリリースされたのでプレイした。やっぱり4が一番好きな作品だなと感じる。10日で144時間プレイしました。文字通り飯とトイレと睡眠以外はずっとペルソナ4やってた。菜々子の笑顔は俺が守る。